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 一面の砂を歩いていた。
 地に足を付ける度に靴の中に砂が進入し、減り込み、足取りが重くなる。
 それもそのはずで、僕の荷物は食料に水分、その他生活必需品が隙間なく敷き詰められた体の大きさに似合わないリュックサックを背負い込み、右手には折り目が沢山ついたコンパクトサイズの地図、左手には汗でぬるぬるなコンパスを滑り落ちないようにしっかりと握り締めていた。
 地図の読み方を間違っていなければ、あと数十分で村が見えてくるはずである。しかし、砂埃が当たり一面に舞い上がっているためにまともに正面を見ることはおろか、目を開けることもままならない。地図とコンパスを一瞬確認しては目を閉じる、という動作を繰り返し行っている。場所が場所であるということ、時間が深夜帯に差し掛かろうとしていることを考えると、人にぶつかる事はまずないだろう。
 ふと、コンパスを右手に持ち直し、ポケットに閉まっていたキューブ状のスイッチを取り出した。透明なカバーが付いており、スイッチの色はラピスラズリのように深い青をしている。これを押すとき、僕もきっと同じような色の目をしていたであろう。
 どん底に突き落とされるかのような、青。
 もうきっと、あの頃には戻れない。
 あの頃――?
 心中で何かがぐるぐると巡り巡って、込み上げてきたところで、やがて消えた。
 いったい、どの頃を指していたのか。
 一度嘆息し、ポケットにスイッチを仕舞い込んだ。
 左手で、前の村の名物であった日射防御面積の広い麦藁帽子を押さえながら、小さく目を見開いて正面を確認すると、そこには確かに「集落」があった。
 村である。
 麦藁帽子をより深く被り、暖かい強風に吹き飛ばされないようにし、地図と、コンパスをリュックサックの中に仕舞い込んだ。
 数十分ほど歩き、〈国道三七六四号線〉に出た。数分おきに一台の車が通るか通らないかの交通状況である。
 再び地図を手に取り、入念に方向を確かめながら国道沿いを歩くと、大きな門のようなものが、ぼんやりと姿を現した。古き歴史を掘り起こしたかのような荒い石によって作られているようだ。右門には、ギリシャ神話を思わせるような絵が描かれており、左門には、古代エジプトのヒエログリフと見受けられるような文字が刻まれている。どの村の門もそうだが、確かな威厳があり、何か絶対的な力を持っているように感じる。それでいて、一つ一つの村で門のデザインが違い、個性豊かである。
 少し昔は「村章」というものがあったように、今ではそれが村の入り口にある門によって示されているのだ。
 だんだんと門がはっきりと見えるようになるにつれ、門の両脇に、門番らしき人物がいることに気づいた。
 門番については、居る村と居ない村がある。居るということは、身分の証明などをしなければならない。煩わしいことなしにして入村できたらこの上ないのだが、この村はそうもいかなそうだ。入村時に身分証明をしてくる村は、ホテルに泊まるにしても、博物館や美術館に入るにしても、必ず証明書を見せる必要がある場合がほとんどだからだ。
 あまり気分が乗らないまま、門の前までたどり着き、足を止めた。
「旅のかたですか」
 右手前の若い門番が、僕の容姿を確認してから言った。
 どこからどう見ても「旅人」であり、観光者や写真家には見えやしない。
「まあ、そんなところです」
 実際のところは、観光者でも写真家でも、増してや旅人でもない。
「ここにサインを」
 今度は左手前の中年の門番から、野太い声で専用の用紙を僕に渡した。
 どうやら、身分の証明は要らないようだ。
 僕は得意の偽名を用紙に書き、手渡す。
 国民総人口の計算ができないような現在の国の状況からして、名前やパッと見の容姿だけで、膨大な人口の中から個人の特定などできるわけがない。
 左手前の門番は容姿を受け取り、数秒眺めたあと「確かに」と言って用紙をポケットの中に収め、「それでは、築木館さんの入村を許可します!」と門の裏側にも聞こえるほど大きな声を出した。
「どうぞごゆっくり!」
 若い門番が、敬礼しながら鋭く言い放った。
 村の内側から足音が聞こえたかと思うと、ギィ、という音とともに、門が少しずつ両側に開きだした。

       ▲ ▼ ▲

「ツアーのコースはどうなさいますか?」朗らかな笑顔でお婆さんが言った。
「いえ、コースはいいので……この村で一番有名なものと、その場所までの地図を下さい」
 老婆は、窓口のガラス越しでも聞こえるほどの溜め息をついていた。あからさまに表情も歪んでいる。
「少々お待ちくださいね」
 老婆はそう言って、大きな棚を探り始めた。
 辺りを見渡すと、観光に来たと思われる人物が数人、館内に分散していた。どの人も一人での観光のようだが、ただ一つ共通していることは、首に大きなカメラを提げている、ということである。
「えー……一番有名な場所は『ヘリック岬の太陽像』で、場所は」地図を開く。「こちらになります」
 その場所は、ここから数十キロも離れた場所に位置していた。
「遠いですね」
「第一便のバスが今から二五分後に出発します。まだ朝ですので、お昼ごろには到着するでしょう」
「あの、朝食を食べる時間が欲しいので……」腕時計を見た。時刻は午前八時三七分を指している。「午前十時以降のバスがいいのですが」
「十時十分に第三便のバスが出ますが、かなりの混雑が予想されますので、出発の約一時間前にはバスターミナルでお待ちすることになりますよ」
 え、と僕は当惑した。
「朝九時になると、他村からの観光者が一斉に来られます。最近国から『認定観光村』に指定されたことで新幹線の停車駅に当村が加わり、その始発がこちらに到着するのが九時二分ですので」
 観光業が盛んな村、ということか。
「それにしても貴方様は珍しいですよ。新幹線以外でこの村に来るような人は、そうそういらっしゃいませんから」
「そうなんですか」
「ええ。国の『認定観光村』に認定されたからといって、観光庁のウェブサイトに小さく紹介されるだけで、知名度の飛躍的上昇には繋がりませんから。しかも、当村を認定するに当たって、国の役人が調査に来るのかと思いきや、電話での村の観光資源調査のみでしたからね。国のすることはつくづく杜撰です」
「それはひどいですね……」
 それについても僕は事前に知っていた。観光庁のいい加減な仕事が原因で僕が振り回されるのは非常に不服なことだが、詮方ない。
「あ、話を戻します、ね」
 会話が脱線していることに気づいた僕は、慌てて軌道修正に乗りかかった。老婆も「ああ、すみませんすみません」とこくこく小さく頷いた。
「十時十分のバスに乗ることにします。バスの中での飲食はできますか」
「はい、可能です」
「でしたら、ここから一番近くのコンビニを教えて下さい……とりあえず何か体に取り入れないと」
 老婆から、徒歩三分程度の場所にあるコンビニの案内を受け、そこで二枚入りサンドウィッチと三五〇ミリリットルのお茶を購入した。


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