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W 「早く!」 僕は結に手を握られホテルの外へ、道路へ、そして中心街へと連れ出されていた。 いずれ中心街へ来ることは最低限の目的の一つであった。僕は中心街の栄えぶりを見るだけで、ある程度の村の人口を把握することができる。「村」というだけあって、そもそもの規模がどこの村も少ないため、中心街以外の地域に人が流れて街が廃れるという心配性がないのだ。 本日が土曜日であること、現在が午前中であること、天気が晴れであることを考慮したうえでの目の子算だと、この村の人口は約千人であることが推測できる。 しばらく僕の手を引っ張っていた彼女の手が離れたと思うと、遠くから声が聞こえた。 「こっちこっち!」 声の方向へ顔を向けると、結の姿が、豆粒もの大きさになるほど遠くで視認できた。 手を振る結に、僕は走って追いついた。 「……まだなの?」息を切らしながら結へ問う。 「ここ!」 彼女が指差した場所には、金箔で【××村観光記念博物館】と記されていた。 「村の歴史がわかりますよ! さあ入りましょー」 そういって彼女は館内にそそくさと消えていった。 僕もまた、後を追うかたちとなって館内へと入った。 ▲ ▼ ▲ 館内は薄暗く、壁に等間隔で小さな光が灯されていた。受付には数人の、先日見かけた観光客たちが居流れていた。受付の横には小さく、写真撮影禁止、ペット禁止、展示物接触禁止と書かれていた。 僕と結は観光客の列に並んだ。 後から先日のカメラ好きな方々が入館した。《写真撮影禁止》の文字を見て、少し残念そうにカメラを仕舞っていた。僕は、博物館となれば普通は撮影禁止であることくらい容易に判断できるのではないか、と疑問に思った。 「入館料は大人千円、子供五百円になります」 僕らの番になり、料金が説明された。結は僕のほうを黒曜石のような眼差しで見つめている。僕はその強請り光線に負け、結果として千五百円が財布から消えた。 展示物は郷土の歴史的な文献や遺跡、建造物などが主となっていた。入ってすぐは食料を保管する目的で作られていたとされるツボや狩猟で使う武器がガラス張りのディスプレイに丁寧に設置されており、一つ一つに長文の説明が書かれていた。奥のほうからは音声が聞こえてくる。渡されたパンフレットによると、村の歴史を分かりやすく説明するビデオが放映されているのだそうだ。 「旅をしてると、訪れた村々の歴史を知りたくなるんですよね!」 「まあ、そうだね。ここは滞在中に絶対行こうと思ってた所だよ。ありがとう」 お礼を言うと、結は照れ笑いを浮かべた。 僕があまりにゆっくりと一つ一つの遺跡や文献を興味深く見ていると、やがて結が飽きだしたのか「ちょっとトイレ行ってくるー……」と言って赤いトイレマークの描かれた方向へ歩いていった。 腕時計を確認すると、既に入館してから一時間が経過していた。子供には全く面白みのない場所で一時間というのは、それだけでかなりの苦痛であろう。そんな場所へわざわざ僕を連れ出してくれたということは、それだけ旅人への憧れが強いということだろうか。 「ずいぶんとご興味があるようで」 突然声をかけられ、僕はびくりとして振り向くと、胸に当館職員であることが記されている老いたお婆さんがいた。 「ええ。旅人ですから、訪れた村の歴史には興味があります」 「まあ」お婆さんは一切表情を変えていない。「旅のお方ですか」 僕の背後にいたお婆さんは、杖をついて、僕の隣に移動した。 そして杖を振り上げて、一つの巻物を指差す。「これが古代から伝わる文献――」 「あっ」僕は慌てて止めた。「もうそれ、十分見ましたので……」 大抵老人の話は長くなる、ということを僕は嫌になるほど経験してきた。他の村の博物館でも同じように高齢者に声を掛けられ、一つ一つ詳しい説明がされて途中で意識があらぬ方向へ飛んでいったがために、このように反射的に対応できるようになったのだ。 「――と、決められた」 「……はい?」 僕は眉を動かした。 「古代から伝わる文献であると、上の役人が、勝手にそう決めたのじゃ」 お婆さんは下を俯いた。 「どういう、ことですか」 僕は眉をひそめた。 お婆さんは杖で巻物の紙の部分を示した。「ここを見ておくれ。……不自然に埃がついとる」 「古いんですし、埃がつくのは当たり前ではないですか?」 お婆さんは微笑した。「これは巻物じゃぞ。巻かれているがために埃はつき難いはずじゃ。なのに紙の中央部分にやたらと埃がついとる。筆かなんかで付けたかのようにな」 言われてみれば、確かにそんな感じはする。 僕の心の中では、小さな葛藤が起こり始めていた。 まだ腑に落ちない僕を横目に、お婆さんは話を続ける。 「それだけじゃあない」お婆さんは巻物の隣の写真に杖を伸ばし、ガラスに二度三度ぶつけた。「これじゃよ」 「これは、ヘリック岬の太陽像ですか」 「そうじゃ。撮影日は2120年になっとるな。じゃが、よく右下を見て欲しい」 そう言って、お婆さんは右下に映っている人物に杖を移動する。 その人物は、大きなカメラを首にぶら下げていた。 「この人物は、桂木清といって、有名な写真家じゃ」 「なぜ分かるんですか。写真は焦点が太陽像に合わさっていて、この人物の顔は少しぼやけてますよ」 「そうなんじゃけどな」お婆さんは後ろを振り向き、先日や先ほど見かけたカメラ好きの方のうちの一人を手招きした。「彼が、桂木清の孫じゃ」 彼がこちらへ来ると、お婆さんが簡単に状況を説明した。 「初めまして。桂木樹吉といいます」 彼は律儀に僕に挨拶をした。祖父と同じく「きよし」と読むが、字が違う。 「彼はこの村の住人で、芸術系の学校に通っておってな。《毎日変わりゆく風景と太陽像》という題材で写真を撮る、という課題をしているそうじゃ。そこにたまたまわたしが太陽像を訪れて、彼を見つけて声をかけたところ、名前が桂木だと聞いてピンと来たのじゃよ。すぐに彼をここに案内して、写真を見せた。ぼやけていても祖父の顔は孫なら分かるじゃろう?」 「だから、あんな熱心に太陽像を取っていたんだ……」 僕は論点が違うことに気がついて、あっと声が漏れる。 「他にも数人居たと思うけど、同じ学校の仲間ですよ。ちなみに今日もあのバスに乗って撮ってきました」 「どうも、ご丁寧に……。――ところで、祖父ということは、今は2469年だから、さすがに2120年よりもは後ということになりますよね」 「その通り。実際、彼の祖父は2396年生まれで存命中じゃ。念のため彼に祖父に聞いてもらったが、間違いなく2438年の夏に太陽像を訪れて写真を撮っていたということが分かったわい」 「ということは――」と、僕。 「嘘っぱちですよ」樹吉が溜息交じりに言った。「祖父によると、あの岬は元々立ち入り禁止区域だったそうです」 「何のために、こんなことを?」 僕の質問が野暮だったために、お婆さんは嘆息する。 「観光業に力を入れるためじゃよ。数十年前まで、この村は田んぼと畑のみしかなかった。伝統的なものはこれといってなく、経済力も乏しかった。他村にかなりの遅れをとっていたのじゃ。しかしいつからだったか、突然古代遺跡を発見しただの、古い貴重な文献が見つかっただのと騒ぎ始め、気がついたらここまでになっていたのじゃよ」 「嘘の遺跡で経済を発展させ、つい先日には国から『認定観光村』にまで指定されました……」 樹吉は複雑な表情を見せる。 「さっき言った巻物じゃが、他の巻物も同様じゃ。この二つどころか、全部が全部嘘かもしれんの……」 お婆さんも彼と同じ表情であった。 薄暗く灯された館内が、更に暗く感じられた。 僕の心の中の葛藤は終結し、黒い塊が祝杯を挙げていた。 |
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